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2007.5.25徳島新聞:東洋町の教訓を読んで思うこと
国内では55基の原発が稼働し、電気の約3割が原子力発電で賄われている。現状では原発抜きでのエネルギーの安定供給は難しい。国が進める原子力政策の柱は核燃料サイクル。使用済み核燃料を再処理して使う。再処理の際に出る高レベル放射性廃棄物の処分場がなければ、原子力による電力配給は将来的に立ち行かなくなる。
これまでに出た廃棄物はガラス固化体(高さ1.3m、外径0.4m)に換算し約2万本。2020年頃には倍の4万本に増えるといわれる。原環機構は33ー37年に最終処分を開始する意向だが当の処分地の見通しが立っていないため中間施設の高レベル放射性廃棄物貯蔵センターに溜まり続けている。「原発はトイレ無きマンション」(同情報室)。処分場問題はもはや先送りできない。
東洋町における処分場誘致問題は4月の町長選で「ノー」という結論が出た。だが、国レベルで処分場問題を考えるとき何ら課題は解決されていない。国は住民の合意形成を図る新たな道を探らなければならない。
2007.5.25徳島新聞:東洋町の教訓 より
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>国は住民の合意形成を図る新たな道を探らなければならない。
という言葉で終わったこの記事に疑問を感じます。新聞記事とは国に対する記事なのか。むしろ住民(国民)に対する問いかけ、問題提起でなくてはいけないのではないのか。
原発を使い、核燃料サイクルを容認する限り高レベル放射性廃棄物という名の核のゴミは増え続けます。住民側はそれを受け入れることなしに電気を使い続けて良いはずがない。原発を使うなら核のゴミを受け入れる覚悟をしなくてはいけない。それが嫌なら何年か先には原発無しで生活できるよう、せめて新しい原発、新しい核のゴミを作らなくてもすむよう、エネルギー政策や省エネルギー対策について議論を尽くさなくてはいけないと思います。
トリウムを使った、プルトニウムを始めとする放射性廃棄物を焼却しながら稼働できる原発を研究している学者もいます(注1)。新エネルギーの供給量がヨーロッパ諸国で10%程度に対して日本では1%以下というのも今まで原発だけに執着しお金をつぎ込みすぎた結果のように感じます。
新聞記事は読者が「それは問題だ、ならどうしたらよいのか」と考えさせ行動させるものであって欲しい。この「東洋町の教訓」のように
>国は住民の合意形成を図る新たな道を探らなければならない。
というようなまとめ方では、読者は「国が何とかするのだろう」と感じるまでで終わってしまう。いつまでたっても国民は面倒なこと(=大切なこと)を国任せ、政治家任せにして何も深く知ろう、考えようとしない。ひとりひとりが記事を読んで自分の頭で考え、政治家に提案するような時代が来てもいい。新聞記事の果たす役割、もっともっと期待しています。
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(注1)
古川博士に佐藤栄作賞
http://www.townnews.co.jp/020area_page/02_fri/02_oiso/2006_3/07_07/oiso_top1.html
溶融塩原子炉・溶融塩炉
http://msr21.fc2web.com/
今、地球温暖化が問題になっています。その大きな原因といわれている二酸化炭素を排出しないエネルギーとして原子力発電が取り上げられることが多いのですが、原発からは放射性物質を含んだゴミが必ず出ます。これを未来の人類が管理していかなくてはいけない。今使えば使うほど将来負担が大きくなるのです。原発以外にクリーンなエネルギーが作れないのでしょうか。
太陽光発電について
太陽光発電とは、太陽電池を使った発電のことです。太陽電池は太陽光を受けている間だけ電気を発生する太陽光発電装置です。太陽電池は光エネルギーを直接電気に変える半導体の一種です。太陽電池の基礎となる光起電力効果が1839年にフランスのBecquerelによって発見され、太陽電池の技術は1954年にアメリカで発明されました。最近では光から電気にかえる効率がよくなりコストも下がってきたので一般家庭用の電源としても普及し始めました。太陽電池は、地球温暖化の原因となる二酸化炭素や有害な排気ガスを出さないクリーンな発電装置。また太陽がある限り発電を続けることができます。

